僕のアメリカ留学は洋楽から始まった
アメリカ留学に興味を持った理由
僕がアメリカ留学に興味を持ったのは、「英語がしゃべれるようになりたい」という単純な思いからでした。兄弟の影響で幼いころからよく洋楽を聞いていて、少しずつ英語が聞き取れるようになったり、歌詞の意味がわかるようになってくる中で、もっと英語を学びたいと思い始めるようになりました。そこからは、洋画を字幕なしで見てみたり、街中にいる外国人観光客の会話に耳を傾けたりしてるうちに、海外に出て、色んな人たちと英語で会話をしたいと思うようになりました。
アメリカ留学を決意した理由
高校の頃から海外留学は視野に入れていました。大学は英語学習に特化し、また留学にも力を入れている外国語大学に入学しました。大学では様々な国からの留学生と接する機会がありました。その中で英語は世界中の人がコミュニケーションをとるために使われている言語であるのを再認識しました。これをきっかけに英語を母国語として使ってる国で勉強をしたいと思いアメリカでの留学を決めました。
留学前に感じていたこと
絶対実りにあるものにするぞと意気込んでいました。留学選考のためにテストの点数を上げたり、面接の練習をしたり、大学の友達と励ましあいながら準備をしていました。準備を頑張った甲斐もあり、学校から1年間のアメリカ留学への奨学金を出して貰うこともできました。留学が決まってからは、ワクワクと恐怖が入り混じったような気持ちでした。同時期に留学をする友達も多く、一緒に意気込んでいたのを覚えています。
アメリカ留学開始
留学について最初に感じた事
最初の数日はすべてが初めての事で何をするにしてもワクワクしてました。留学を開始して最初にぶつかった壁が、現地の友達作りでした。生徒達はみんなグループで固まっていて、留学生も留学生同士で固まってしまっていました。また、英語面でもアメリカ人の話す英語のスピードやスラングの多さ、アクセントの違いに圧倒されて不安になったこともありました。日本でも外国人留学生と英語で話す機会はあったのですが、自分がそれまでに経験したこととは全く違い、自身の実力の無さも感じました。
アメリカ留学のゴール
留学中の僕の大きなテーマは、「勉強」と「現地の生活にできるだけ近づく」でした。
また、当時漠然と持っていた夢が「英語以外の事も教えられる英語教師」だったので、自分ができる最大限の経験をして日本に持って帰ろうと考えていました。その為に現地の友達作りには人一倍努力をしていたと思います。
波乱万丈だった一学期目
一学期目(前半)
現地の生活に慣れるのに必死でした。毎日の勉強に加え、慣れないアメリカの食事、慣れない寮生活、慣れないルームシェアなどたくさんの初めての経験があり、必死で毎日を送っているうちにあっという間に最初の数カ月が過ぎていったのを覚えています。ですが、自分で立てた目標はつねに達成できるよう努力しました。まず学期初めにある留学生のイベントに参加して留学生の友達を作りその友達と、週末にいろんなコミュニティーやクラブに参加しました。
この期間に行動を起こして一番よかったなと思うことは学内のダンスクラブのオーディションに参加したことです。自分の得意なダンスを現地で共有できればと思い応募したら合格することができ、そのクラブ初の留学生部員になることができました。また、このクラブの学内での知名度が高く、入部してからはどんどんと現地の友達が増えていきました。
一学期目(後半)
この頃は、できる限り現地の学生と近い距離で生活をする努力をしていました。日本の大学生とはちがう「Study Hard, Play Hard」の精神に影響も受け、自分のスケジュールをうまく利用して勉強と遊びの両方に全力でした。遅いときは夜中すぎまで続くダンスの練習や学校のイベントに参加をしていて、授業のある平日は夜の11時からの勉強で睡眠時間が3~4時間といった毎日が日常となっていました。体力的にキツイと感じる瞬間もありましたが、1年しかない留学期間を120%活用すると自分に言い聞かせながら日々を送っていました。
自分を見つめ直す時間を持てた二学期
二学期目(前半)
ある程度生活には慣れてきて、自分の将来を考える時間が持てるようになりました。教師になるために色んな事に目を向けてみようを思い普段の生活以外の事にも焦点を当てて考えてみました。例えば、日本人とアメリカ人との違いなど、どうしてこういう違いがあるか等に気を配りながら人と接するようにもしてみました。偶然にも大統領総選挙が近い時期でもあり、何か学べるかもしれないと思い候補者の演説を聞きに会場まで行ったりもしてみました。文化の違いを肌で感じる機会も多くて、その時に感じた事、現地の友達の見解は今でも覚えています。
また、ダンスでは市内で開催されたダンスの大会で優勝することができました。この大会に向けた努力からチーム内の結束力も深まり、チームメイトともそれまで以上に仲良くなりました。僕は沖縄出身なんですが、「日本=東京」と沖縄県の存在すら知らなかったアメリカ人たちが「OKINAWA~」と僕を応援してくれたのを覚えています。
二学期目(後半)
留学生活も終盤に入り、日本に帰国する準備をしつつも残りの留学生活を全力で楽しもうと必死でした。この時期が一番楽しく充実していたかもしれません。授業の理解度も深まり、週末は友人と出かけたりと毎日が目まぐるましく過ぎていきました。
その中でも一番思い出に残っているのは、ダンス部のチームメイトとRetreatに参加したことです。Retreatというのはその年が終わるときに、クラブ全体で旅行をするといったイベントです。そのRetreatではホテルに屋内プールが付いていて、日本とはちょっと違う旅行の楽しみ方も経験できました。
アメリカ留学を終えて
やりたい事が変わった
アメリカ留学を通して、自分なりに悔いのないものにできたんじゃないかと思っています。専攻していた「Cultural Anthropology, Journalism」もかなり興味を持って学べましたし、授業外でも沢山の地元の友達を作ることができました。この結果は「今しか出来ない」と意識しながら過ごしていからこそだと思っています。ただ、留学を通して、自分のやりたい事は教師ではないという結論に至りました。今でもまだ漠然としているのですが、自分がアメリカで学んだ英語をもっと活用できる職業にチャレンジしてみたいと感じています。今は、日本国内の外資系企業か海外に支社を持つ日系企業に入社してボーダーレスに働きたいと思っています。
インターンシップとの出会い
留学の経験を使って世界を相手にボーダーレスに働きたいと色々リサーチをしていた時に気づかされたのが本気で世界を相手に戦っていくにはスキルや知識が全然足りないということでした。唯一の強みであった英語も1年間の留学で周りの友達よりもはるかに上達はしていてできる気にになっていましたが、世界で活躍する人達と比べれば自分は足元にも及ばないと知りました。英語でビジネス書やニュースサイトを開いてみると辞書ありきで何とか読める程度でした。周りの友達が次々と就職先を決める中、自分の力の無さに直面しどうしていいかわからなくなっていました。
そんな時に友達から教えてもらったのが海外でのインターンシップでした。大学卒業を迎える僕にとっては、大学を卒業してからのインターンシップは周りの友達と違う道を歩むことになってしまいかなり勇気がいりました。ですが、自分の夢を実現するためには実際に海外の会社で社会経験を積むことは、今自分に足りていな部分を学ぶには最適な環境だと感じ、シンガポールでのインターンシップを決断しました。少し遠回りとなりましたが、3つの新たな目標「ビジネス英語を鍛える」「社会を学ぶ」「自分の将来を明確にする」と共に今ではたくさんの事を学べてます。また自分がしたいことも少し見えてきたので、良い経験になっているなと身をもって感じています。